大学生バックパッカーの中東旅行記(パレスチナ/ラマラ編)

中東旅行記(パレスチナ/ラマラ編)

〜パレスチナ自治区〜 2005年8月

ファイサルで知り合った日本人と一緒にパレスチナ自治区・ラマラへ行くことにした。パレスチナはさすがに危ないと思ったけれどここまで来たら最後まで見てみようと思った。二人で一緒に行くということもあり安心感もあった。

イスラエルという国はパレスチナの独立を認めていない。パレスチナには昔から住んでいるアラブ人がいるが、第二次世界大戦後ユダヤ人がこの地にイスラエルを建国、その後、元々住んでいたパレスチナ人と争いを続け、周りのアラブ諸国と数度にわたる戦争になった。現在ではパレスチナ自治区の暫定政府PLOのアラファト議長ととイスラエルのシャロン首相との間で交渉が続けられているが、交渉は難航。パレスチナは独立を果たせないでいる、、、、、と何かの本で読んだことがある。

数ヶ月前にPLOのアラファト議長が死亡したというニュースを見ていた。そのアラファト議長の墓がラマラという街にある。

エルサレムからミニバスで数十分、ラマラに到着した。到着した瞬間にヨルダンに戻ったような感じがした。エルサレムはユダヤ人もアラブ人もいて混沌としているがラマラにくるとアザーンが流れ、アラブ系の顔の人しかいない。

道が分からなくなったので人に聞いたら親切に教えてくれた。ヨルダンでもシリアでもレバノンでもそうだが中東の国で悪い人はいない。人懐っこく純粋で親切。この旅行に来るまでのイメージと遠くかけ離れていた。日本での報道を見ていると中東の人はみんな人を殺すのが好きな怖い人みたいなイメージになっているが決してそんなことはない。

アラファト議長のお墓は軍の施設のど真ん中にあった。こんな所に入って大丈夫かと心配になったけれど勢いで入ってしまった。中で兵士が迎えてくれた。

アラファト議長の墓

パレスチナには分離壁がある。イスラエル人がパレスチナ人を隔離するために作った壁。 この国は国の中で人と人が戦っている。感覚的にユダヤ人がパレスチナ人を虐げているように見える。ユダヤ人は見た目はヨーロッパ人やアメリカ人と代わらない。経済的にも先進国に近くお金持ちも多い。でもユダヤ人はアウシュビッツなどで悲しい歴史を背負っておりやっとの思いで自分達の国を作ったのだという思いが強いのだろう。ヨルダンとの国境にもエルサレムにも女性の軍人がいた。徴兵制なのだろうか?ユダヤ人の目は笑っていてもどこか悲しい感じがする。

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