大学生バックパッカーの中東旅行記(シリア/ダマスカスとデリゾール編)

大学生バックパッカーの中東旅行記(シリア/ダマスカスとデリゾール編)

〜デリゾールとダマスカス〜 2005年8月

世界4大文明・高校の世界史の授業で「文明は必ず川と共に発展した」と習った記憶がある。エジプト文明とナイル川、インダス文明とインダス川、黄河文明と黄河、そしてメソポタミア文明とユーフラテス川。

パルミラからさらに西、イラク側に向かったところにこのユーフラテス川流域に位置する街デリゾールがある。

ガイドブックでは特に有名な観光地にはなっていなかったけれど、これだけ世界史で有名な場所に行かないのはもったいないと思い、ダマスカスへ向かうのをやめてデリゾールへいってみた。

市内は特に何もないアラブの街だった。真ん中の名もなき広場にいってボーっとしていた。ここから人間観察をするのが楽しかった。時にはゆっくりするのも大事だと思う。

ユーフラテス川はそんな世界史の古代文明といった仰々しい感じでもなく地元住民の子供が普通に遊んでいる普通の川だった。ガンジスのように特に神様が宿っているという感じでもなく、観光地になっているわけでもない。もちろんこの川を見に来る観光客など一人もいない。でも観光地化されていない分、あらされていない地元の人のための川、この素朴さが素敵だった。

デリゾールのユーフラテス川

観光客がだれもこないからか、地元の人にとって外国人が珍しいようだった。子供達がこちらをじろじろと見ている。そしてかけていたサングラスを取られた。追い掛け回して取り返したら子供は親をつれてきた。英語でちょっと怒ってみたけれど相手が英語を知らないのか自分の英語が稚拙なのか、それとも分からない振りをしているのか分からないが、とにかく通じていないようだった。



そして、パルミラを経由して首都・ダマスカスへ向かった。ダマスカスは都会だった。いいままで見てきたような遺跡に特化された観光地になっているわけでもなく、ゆったりしている感じもしない。強いて言うならエスファハーンをもっとうるさくしたような感じだった。

アルラビホテルという安宿に泊まった。ここに2軒ほど安宿が並んでいてどちらも同じような値段設定になっていた。ここに到着するとパルミラで知り合った旅フレと再開し、その他にも日本人が何人かいた。旅先で日本人と会うとどうしても話してしまう。外国の文化に触れたいから日本という現実を忘れたいという理想はあるものの、やはり異国の地で一人旅をしていると英語でのコミュニケーションに限界を感じてしまう部分もあり、それによって一人でいる寂しさが出てきてしまうのだろう。そしてみんなが同じような気持ちを持っているからこそ、日本にいるときは考えられないくらいすぐに仲良くなり、普段話さないようなまじめな話からどうでもいいバカ話までしてしまうのだろう。ここでも日本人の人たちと色んな話をした。

ダマスカスには何日か滞在し観光をした。

ダマスカスは街の看板や駅の中など、いたるところにアサド大統領の肖像画が飾られている。国の元首の肖像画が街のいたるところにに飾られている国は独裁国家しかありえない。シリアが政治的にどういう国かはわからないけれど、この肖像が一つでこの国が独裁国家・民主的な国ではないのかなと疑問に思ってしまった。

アサド大統領の写真

シリアもレバノンと同様、イスラエルと国境をめぐって紛争をしている国である。その事実を分からせてくれる場所がダマスカスから車で数十分行ったところにあるクネイトラという街だ。クネイトラは第3次中東戦争の後、イスラエル軍に占領され徹底的に破壊された。その後国連軍により統治され現在に至っている。戦争によって滅ぼされたままの状態になっている場所なのだ。クネイトラへ行くには政府の許可をもらわなければならない。ダマスカスにあるオフィスで許可をもらいガイドが着いてきてクネイトラへ行った。

クネイトラの廃墟

クネイトラの廃墟

本当に廃墟だった。病院や普通の民家がイスラエル軍によって壊され、多くの人がここで殺されたとガイドは一生懸命に説明してくれた。戦争はお互いの国がお互いの国に都合の良い情報を元に話すのでシリア側の視点での情報でしかないことは分かっているけれど胸が痛んだ。中東地域は今現在でも紛争の火種を抱えているのだと再認識した。悲しいけれどこれは現実なんだ。日本にいると平和が当たり前のように思うけれど世界では実際についこの前まで戦争をしている国があり、今でも戦争をしている国がある。このじじつっを日本にいてニュースを見るだけでは実感できない。こういうところで肌で感じることが大切なのだと思った。

だが、ダマスカスの街自体はそんな戦争とは無縁とも言えるほど平穏だった。にぎやかではあるがテロが起こりそうな雰囲気など一切なくこの国が戦争をしていることなど想像もできない。政治と人の生活は関係があるようで関係がないのかもしれないと思った。

スークは活気づいていて、人々は日々の生活を普通に営んでいる。スーク・イランやトルコではバザールというがシリアではスークと呼ばれている、人が買い物をする市場のことである。野菜・肉・香辛料・織物・水タバコ・・・色んなものが売っている。ダマスカスのスークはイスタンブールのグランドバザールほど観光地化されてなく、どちらかというとシリア人が多かった。その分、現地の空気が伝わっていてこちらの方がグランドバザールよりも楽しかった。

英雄サラディンのモニュメントや観光名所となっているモスクなどがあったけれど、もはや見飽きていた。決してネガティブな意味ではなくベイルートからここまで来る間に、何度も何度もアザーンを聞いて、モスクに人が集まっているのを見てきた。段々とこのイスラム的な習慣自体に慣れ親しんできている感覚がしてきていた。

ダマスカスのスーク(バザール)

ダマスカス滞在中・日本人は何人かいたけれど彼女とはパルミラから知り合いであることもあって一番長く一緒にいた。一緒に観光もしたし一緒にシリア人の若者と話したりもした。年齢が一緒ということもあって話は盛り上がって仲良くなっていったが、昼も夜もずっと一緒にいたせいか、だんだんと会話もなくなり険悪なムードになっていった。

ダマスカスからヨルダンの首都・アンマンに行くバスのチケットも一緒にとりにいったがチケットを取っているときも、バスに乗っているときも最後は一切の会話がなかった。

アンマンにたどり着き、「じゃあ」とだけ言って彼女は去っていった。

TOP      NEXT

inserted by FC2 system