中東旅行記(ヨルダン/アンマンとクリフホテル沈没編)

中東旅行記(ヨルダン/アンマンとクリフホテル沈没編)

〜ヨルダン・アンマン。死海とクリフホテル〜 2005年8月

アンマンに到着した。彼女と別れ、すっきりしたような寂しいような微妙な気持ちになりながら宿を探した。アンマンには有名な宿がある。クリフホテル、あのイラクで殺された香田さんがアンマンから出発したときにこの宿に泊まっていたらしい。

なんちゃってジャーナリスト的な感覚が芽生え、ここに泊まってみようと思った。ここで香田さんがどんな思いを持ってイラクに行こうとしていたのかを聞いてみるのも面白いと思った。

クリフホテルはビルの4階にあった。重い荷物を持って4階に登るのはしんどかった。登り終えると一人のアラブ人スタッフがウェルカムといって迎え入れてくれた。彼の名はサーメル。

サーメルは本当にいい人だった。死海に行きたいと言うと地図まで書いてくれて行きかたを丁寧に丁寧に説明してくれる。最終的にはアラビア語で死海へ行きたいというメモを書いてくれてこれをタクシーの運転手に見せろといってくれた。こちらが何も頼んでなくてもチャイを出してくれ、お金を払おうとするといらないと言う。なぜと聞くと笑って何も言わない。こちらがありがとうというと「どういたしまして」と日本語で応えてくれる。アラブ人の中では珍しく内向的でおとなしい人だけれども、優しくて日本人が好きなようだった。

サーメルが書いたメモを元に死海へ行ってみた。死海はイスラエル側・ヨルダン側両方からいける。イスラエル側はどちからというとお金のある人が行くらしいので当然バックパッカーでお金がない自分的にはヨルダン側から行く以外の選択肢はなかった。サーメルにもらったメモをタクシーの運転手に見せ、他の欧米人旅行者とタクシーをシェアしながら、死海へ向かった。

死海は海水の塩分濃度が濃いため生き物が生きられないことからこの名前がついている。また、塩分濃度が濃いということは物体が体が沈まないということである。

死海

本当に自分の体が浮く、浮き輪もビート版も持っていないのに海水にプカプカと浮かぶ。不思議な感じだった。海水の塩分濃度が濃いため、目に入ったら危険だ。口にちょっとだけ含んでみたがしょっぱいを通り越して辛い、、いや、辛いを通り越して舌が痛かった。海水に浮いているときも体に引っかき傷などがあると体がヒリヒリする。死海の泥が肌にいいと何かのCMでみたことがあったので泥を自分の体に塗りたくり、パックをしたりしていた。この浮く感覚は本当に不思議な感じだ。

アンマンでは観光はしなかった。円形劇場とか観光地はあったみたいだけど観光する必要がなかった。ダマスカスで一緒だった日本人の人たちと再会し、一通りはなしが盛り上がって仲良くなっていった。毎日日本人バックパッカーがクリフホテルに集まり、みんなでジブリ映画を見たり、ウノをやったりして盛り上がったり、一人でいるときはゆっくりと本を読んだり、サーメルと話したり、チャイを飲んでボーっとしたり、これを沈没というらしい。段々と香田さんのことはどうでも良くなっていた。

大学生ではない、社会人でバックパッカーという人ともはじめてちゃんと話した。話の一つ一つが楽しくて夢があった。タイのバンコクやブルガリアのソフィアにもクリフホテルのような日本人宿があるらしい。いつかヨーロッパや東南アジアに行ったときには日本人宿に泊まろうと決めた。

サーメルは本当に純粋で謙虚で素晴らしい人間だった。日本の情報ノートにはサーメルの境遇が書かれている。サーメルはこの宿であまりいい扱いをされていないという情報があった。こんなにいい人なのに毎日苦労して働いて辛いんだろうなと思った。そして泣けてきた。人前で涙を見せたくなかったから隠れて一人でずっと泣いていた。ありがとうって独り言でずっと言ってた。本当の感謝の気持ち、ありがとうっていう気持ちが生まれて初めて分かった気がする。

あまりにも長居をしてしまったため、ヨルダン最大の観光地、ぺトラ遺跡にいけなくなってしまった。イスラエルに入らなければぺトラ遺跡を見て、アカバという港町からエジプトに直接入国できるらしい。しかもここでゆったりとした楽しい毎日を過ごした分、イスラエルには行きたくなくなっていた。でも、やはりイスラエルは行くべきだと思った。日本での報道ではかなり危険な国とされているけれどイエスキリストが生まれた場所、ユダヤの帰る場所、そんな歴史的に重要なところをはずすわけにはいかなかった。

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