大学生バックパッカーのアメリカ旅行記(デンバー編)

大学生バックパッカーのアメリカ旅行記(デンバー編)

〜ロッキー山脈とデンバー〜 2004年3月

サンフランシスコからデンバーへの距離は相当なものだった。地図をみた感じでも、日本を横長にして九州から北海道くらいまであるんじゃないだろうか?しかもロッキー山脈という一つの山を列車で越えるというのだから時間はかかるのだろう。

列車はロッキー山脈の中を超えてアメリカ中部へ入っていく。列車はロッキー山脈を登っていく。ひとつのアトラクションのようだった。何気ないただの列車の窓からの風景だけれど日本では絶対に見ることができない広大な自然があった。

30時間以上列車に乗っていた。電車の中で1日を過ごしたのは生まれて初めてだ。この時に時差も味わった。アメリカでは同じ国内でも時差がある。広大な土地を持つ国ならではのことだろう。

デンバーは今まで行ったどこよりもマイナーな街。ロサンゼルスやサンフランシスコは日本にいるときからその名前を知っていた。サンディエゴはメキシコの国境という意味でガイドブックを見た限りでは面白そうな感じがしていたが、正真正銘何もない。

ロサンゼルスのように治安が悪いということもなかったがよくもない。サンフランシスコのように街が綺麗というわけでもない。もちろん国境などない。これといって特徴のない街だった。

ただ、国会議事堂がテレビで見たことがあるワシントンのものとそっくりだった。あれはなんだ?と周りの人に聞くと「キャピトル」と言われた。「キャピトル」という単語は国会議事堂だと思っていたので「キャピトルはワシントンDCにしかないのではないか?」とたずねるとあれは「デンバーのキャピトルだ」といわれた。キャピトルとはそれぞれの州の議事堂のことを言うのだと分かった。

ユースホステルは中世ヨーロッパの建物のようだった。ここでパスポートを預けたことを忘れて、夜、パスポートをなくしたかと思い、なかなか眠れなかった。そしてアメリカに来て1週間ほどが経過していて少しだけ寂しくなっていた。

正直、旅行にくることは迷っていた。付き合っていた彼女と一緒にいたかった。彼女と離れ離れになるのが辛かった。フィリピンにいった時は彼女と付き合ってなかったから全然日本に帰りたくなかったけれど、あれから彼女が出来て、いつもずっと一緒で、3週間も離れ離れになって連絡もできないっていうことが寂しくてしょうがなかった。(まだこの時代にはミクシィやフェイスブックはおろかパソコンでのメールという概念自体なく、むしろパソコン自体持っていなかった。)

入国したときはテンションもあがり、見るものすべてが新しく感じて日本でのことは忘れるものだが一人旅で日本語が話せず、なおかつすこし時間がたって落ち着いてしまうと日本のことを考えてしまうものだ。そして日本のことを考えれば考えるほど帰りたくなった。日本に帰れば最愛の人が待っている。なんでこんな遠いところに来ているんだろう?と疑問になったりもする。

それでも高校生のころからあこがれていた英語を話す国アメリカ、ここに来たっていうことは後でいい経験になるはず。そして今帰りたいと思ってもFIXチケットできている以上指定した日まで帰れない。アメリカにいるしかない。そして今しかできないこの経験を楽しむしかない。そう思いながらシカゴへ向かった。

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