フィリピン旅行記・マニラでのホームステイ

フィリピン旅行記・マニラでのホームステイ

〜偶然のホームステイと感動の別れ〜 2003年3月

「ニホンジン?」

マニラの海辺を歩いているといきなりフィリピン人のおじさんに声をかけられた。またか・・どうせ騙してくるやつだろうって思ったけど日本語がうまかったのでちょっと安心した。もう、1週間くらい日本語を聞いていなかったから日本語自体が懐かしくなっていた。

暇だったのでちょっとだけ話をしていた。おじさんは日本に来たことがあり、自分が住んでいる中野についてもよく知っていた。ブロードウェイという単語をまさかフィリピンで聞くことになるとは。。。今まで騙されたことを話すと「フィリピンには悪いやつ多いから気をつけな」といわれた。

しばらく話をしていくうちに、「家においでよ」と言われた。かなり危険なことは分かっていたけれどやっぱりこういう面白い出会いを捨てたくなかったので家に行ってみることにした。

マニラの都心部からジプニーという乗り合いバスのようなものに乗って彼の家に行った。自分ひとりだったら乗り合いバスなんて行き先も乗り方も分からないし乗れるはずもなかったのでいい経験だった。

ジプニーは派手だった。アメリカ軍の払い下げのジープをカラーリングしたものらしい。最初は席がなくなったので後ろの入り口のところに立っていた。車につかまって移動しているときに浴びる風が心地よかった。旅をしているという感じだった。

フィリピンの乗り合いバス(ジプニー)

家にはおじさんの奥さんと彼らの子供と彼らの両親がいた。初めは驚いていたがだんだんとうちとけていった。お金を払えばご飯も作ってくれるし、観光に連れて行ってくれるという話になった。

2〜3日くらいこの家にホームステイをした。おじさんと一緒に火山を見に行ったり、誰かわからない親戚のお兄さん的な人にバイクに乗せてもらってフィリピン名物、闘鶏を見たり現地の学校を見に行ったりした。

現地の学校では英語で授業をしていた。フィリピンでは現地人同士はタガログ語を話すけれどやはり英語も公用語なだけあって、きっちりと教育されていた。日本の英語教育のように文法を詰め込んでテストだけのための勉強をしているわけではないのだなと学校での授業風景をみて感じた。

こうやって楽しいホームステイをしていたがお金が底をついてきた。彼らに払っているお金が相場で高いのか安いのかは分からないけれど別にそれはどうでも良かった。こういう経験をするために日本からやってきたのだ。たとえば親が自分の銀行口座から送金してくれるのだとしたらもう何日分かは払いたかった。でも、本当にお金がないのだ。

実際にお金がなくなってきてこのくらいの額しか払えないという話をしたら、おじさんの表情が変わった。やっぱり日本人にお金目的で近づいてきたのだと思った。でも、ショックは少なかった。お金をもらって自分一人ではいけない所に現地人がガイドをしてくれ、そして現地にホームステイをさせてくれたのだ。これをタダでっていう方がおかしい。

「オニイサン、ハナシガチガウネ」

おじいさんは怖い表情でこう言った。彼が言うのももっともだと思った。けれど実際にお金がないので、もうこれくらいしか払えないのだ。

それでもおじさんは考えてくれ、ご飯は質素になったけれど、それでも何日か家に泊めてくれた。

数日後の夜、これ以上この人たちに迷惑をかけるわけにはいかない。部屋にお金を少しだけ置いてみんなが外出しているときに、出ようと思った。ちょっとだけ怖かったのもある。でも、やっぱり迷惑をかけたくないという思いが一番強かった。怖さと悲しさと切なさとで胸が一杯になって泣きそうになった。

出て行こうとしたらおじさんと奥さんが近所の人たちと会って話をしていた所に遭遇して見つかってしまった。

「ナニヤッテルノ?」
「もう出ようかとおもって、俺もう払えるお金ないし。」
「ヨルニソトデタラアブナイデショ!」
「オカネアル・オカネナイカンケイナイヨ!」
「キョウハネテアシタシュッパツシナサイ」

涙が止まらなかった。とりあえず泣いた。

次の日の朝、家族と記念写真を撮り、握手をして、偶然のホームステイを終えた。英語の勉強に来たマニラで100%日本語で現地人の家に泊まるという予想外な出来事は終わりまたマニラに戻っていった。後3日後には日本に帰る。もうお金がほとんどない。でも、予想外のことが多すぎて辛かったけど、フィリピンに来てよかったと本気で思った。

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