東ヨーロッパ旅行記(ブルガリア/ソフィア編)



〜猛吹雪のブルガリア〜 2006年1、2月

朝の列車で、ブルガリアの首都ソフィアへ向かった。

列車は西欧から東欧へ、そして東欧から南欧に向かっていくに連れて車体が古くなり、乗っている人たちも少なくなっていった。共産主義国家・旧ソ連のようなイメージだ。ブルガリアは旧ソ連と親しい国、ソビエトの16番目の共和国といわれている。それが列車の中からも感じる。

年配の男性に話しかけられた。どうやらロシア語のようだ。大学の第二外国語でロシア語をとっていたので挨拶くらいは意味が分かった。

「どこから来たんだ?」「日本人か?」「ロシア語はしゃべれるのか?」というような事を聞かれた気がした。片言のロシア語で「ダー、ヤーイポーニェッツ、ヤーニェットルースキーイズィック、アングリースキーイズィック」と答えた。日本人でロシア語はしゃべれない、英語だったらちょっとだけ喋れると答えた。全然ちゃんとした言葉ではなかったが、なんとなく意味を分かってくれたようだった。

不思議だった。Yesという意味を言うときに首を縦に振ったら、相手は「??」という顔をした。相手はそうだそうだと言いたそうな時に首を横に振る。どういうことなのだろう??とずっと考えていたが、ブルガリアではYesという時に、首を横に振る、Noというときに首を縦に振る、ということを数年前に世界不思議発見でやっていたのを思い出した。

ソフィアについた。今までのどこよりも荒廃している。駅は寂れていて暗い。所々に蜘蛛の巣が張っている。そして人がいない。人々に笑顔がない。オーストリア・ドイツから段々と東へ、そして南へ向かへば向かうほど、どんどんと国の明るさが失われていく。。ブルガリアは荒廃という言葉がよく似合う。

ブルガリアでは一つ楽しみにしていることがあった。バックパッカーズインという日本人宿だ。アンマンのクリフホテルにいたときに、旅人からヨルダンのクリフホテル、イスタンブールのツリーオブライフと並ぶ3大日本人宿だと聞いていた。日本人バックパッカーが多く、やっと日本語が喋れると期待していた。もうずっと日本人と話をしていない。日本人と話がしたかった。

しかし、その期待は宿に入って数分で幻滅に変わった。日本人は一人しかいない。その人と若干話をしたが、ギリシャは特に面白くないから行かない方がいいという情報を得ただけだった。宿の雰囲気も良くは無い、確かに日本人が書いた情報ノートは沢山あったし、日本人が使ったと思われる電気釜や日本酒の残りなどが置いてあるが、期待していたような面白さは無かった。静かで、暗かった。

外は吹雪だった。もはや観光できる状態ではなかったが時間も無いのでとりあえず何日か観光した。吹雪の中歩き回った。とにかく寒い。ソフィアは教会よりもモスクが多い印象を受けた。もともとはオスマン帝国の領地。この辺りの地域になるとヨーロッパとイスラムの世界が入り混じっているような感じがする。さらに旧ソ連の影響も強く、アレクサンドルネフスキー寺院なんかは完全にソ連のイメージだった。



ブルガリアは今までのどの国よりも物価が安かった。ドイツではユースホステルが一泊25ユーロから30ユーロするのにブルガリアでは5ユーロである。食べ物もユーロ換算すれば1ユーロくらいでかなり大きなパンが買える。イスタンブールよりも安い。とてもヨーロッパとは思えない物価の安さだ。この物価の安さはプラスだったが、その分、治安の悪さや雰囲気の悪さはすさまじかった。普通に暗い路地裏に入ったら殺される気がしてきた。どんどんと怖くなってきた。

次に行く国はマケドニア・セルビアモンテネグロ・ボスニアヘエルツェゴビナ・・・・どんどんと悪いイメージの国へ行く気がする。なんでこんなところを旅しているんだろう??という気がしてきた。そもそも、安全なのだろうか?地球の歩き方にもあまり行かない方がいいみたいな感じで書いてある。治安は大丈夫なのだろうか?テロとか起こったりしないだろうか?

ポーランドでの友達のメールから一気にテンションが下がり、寒さと疲れと日本語が話せないストレスから思考がどんどんとネガティブになっていった。。

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